こんにちは。愛媛のハナハ行政書士・社会福祉士事務所(開業準備中)のチャンです。
私は子供の頃から、あまり勉強などは熱心にする方ではなかったのですが、とにかく本を読むのが好きでした。と言っても、世界の文学や難解な哲学書などを読むようなタイプではなく、私の中高生時代は、ナンシー関氏と大槻ケンヂ氏ばかりを読んでいました。(一方、関西の学生らしく、ラジオは専らサイキック青年団。京都産業大学にも北野誠氏に憧れて受験・入学した様な、サブカルチャー的なものが好きな若者でした)
今回から、自分が読んでなんか「グッときた」ものがあった時に(舐達麻のGプランツ氏風に言うと「タギった」というやつです)、そういったストレートな気持ちをブログでお伝えできればと思います。
それでは早速、はじめていきましょう。
マルチチュードの起業家活動
どの言葉にグッときたのか?
今日は斎藤幸平さんの『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』について書かせていただきます。
私が紹介するまでもなく、『人新世の「資本論」』(私はまだ途中までしか読めていません)で有名な著者が
理論の重要性を信じ、理論と実践とは対立しないと考えるからこそ、私の方がもっと実践から学ばなければいけない。
p4「まえがき」より
という趣旨のもと、タイトルの様にウーバーの配達員や、狩猟でとれたシカの解体を行なったり、水俣を訪ね感じたことなどを記した本です。
それぞの、現場で「日本にこんな場所やこんな人たちがいるのか」と、世間知らずの私には本当に驚くようなことばかりでした。
そう言った、各々の現場のレポートもとても面白いのですが、私がまずグッときたのは斎藤さんが、アントニオ・ネグリとマイケルハートの『アセンブリ』という本から引いた以下の部分です。
しかし、新自由主義イデオロギーのひどいごまかしと血も涙もない新自由主義政策に憤るあまり、その真下に存在する社会的協働のダイナミクスを見失ってはならない。自分自身の企業家〔=起業家〕になれという新自由主義の空虚な勧告に従い、マルチチュードの起業家活動を見落としてしまってはならないのだ。
p54 『第1章 5人で林業 ワーカーズコープに学ぶ「より仕事」を自ら提案』
マルチチュードの起業家活動
世の中には、マルチチュードのアントレプレナーシップ=起業家活動なる言葉があるのですね!
私が学生の頃はちょうど『帝国』が翻訳されたり、訳者のお一人の方のゼミ生の人たちと一緒に活動してたりで、何かと話題には挙がっていたのですが、私はなんか難しそうだなと思って今だに読んでいません。
なので、もしかしたら「マルチチュードのアントレプレナーシップ」なるものも結構有名な考え方なのかもしれませんが、私はこの本で初めて知りました。
マルチチュードなる言葉も「だいたい」でしか知りませんが、私の友人は「烏合の衆」などと言っていました。一般的には有象無象などとも訳される様です。
なぜグッときたのか?
なんか、よく言われることだと思うのですが、行政書士試験の勉強をしている時は毎日毎日必死に過去問などを行なっているのですが、なんとか合格して、さぁいざ開業だとなると、もしかしたら、あれだけ勉強した行政書士ということ以上に、いち起業家としての側面が大きくなってくるような気がします。
行政書士会への登録申請を済ませて、少し落ち着いたあと、色々「行政書士開業本」を読んでも、多くの方が「行政書士である前に個人事業主である大切さ」を説かれていたように思います。
具体的には1に営業、2に営業、34がなくて、5に集客の様な感じで。そういった方の中には「実務なんかおぼえなくて良い、とにかく営業・集客のスキルだけを磨きに磨きなさい」と主張をされる方もいます。
そう言った言葉に感化され、私は今まで読んだこともない様な様々な起業家本を読み、これまで福祉の仕事をして考えもしなかった「見込み客」という考え方や、「商品を売るんじゃない、自分の世界観を売るんだ」などと目から鱗が落ちるような、様々な新しい考え方に触れました。
率直に言って、そう言った勉強は私はとても楽しいです。(勉強だけで全く実践できていませんが)そして、本に載っている様に多くの「見込み客」から「ファン」を作り、「リピーター」となってもらうことができれば、それは商売として上手く行くんだろうなとは思うんです。
しかし、なんと言いますか、本当に、自分はお金を稼ぎたいためだけに起業するのかな?という思いが、どこかにありました。めっちゃ短絡的な物の言い方になってしまいますが、それって「金儲けのテクニック」の話だけじゃないの?という、まだ一銭も稼いだことがない私ですが、恐れ多くも、そして生意気にも(私の専売特許です)思ってしまうのです。
ですが、そりゃ起業したら誰も給料をくれないわけで、お金を稼がないと生きていけないわけでもあり、結局は資本主義に飲み込まれてしまうのかというような、諦めの気持ちがありました。
そんな時に、この本を読んで出会った言葉、それがマルチチュードのアントレプレナーシップでした。
実は、このネグリ氏とハート氏の引用を斎藤さんは否定的に捉えていたという文脈で書いています。実際にハート氏と対談した際に氏の主張に対して反論したというふうにも書いてあります。
それが、京都府の「ネクストグリーン但馬」というワーカーズコレクティブ(ワーカーズコレクティブについても工藤律子さんの「ルポ 雇用なしで生きる」を引用しながら、いつか詳しくブログで書きたいです)の活動に、斎藤さんが「参加」することを通じて変化が生じます。
その章の最後は、以下の様に結ばれています。
ハートの見ている労働の光景は、日本の私と大きく異なっていたのだ。雇われ者の奴隷根性に慣れ親しんだ私には、彼の言葉が十分に理解できなかっただけだったのかもしれない。コロナ禍が落ち着き、再会する機会があれば、「協働」の未来を再度議論したい。
p54 『第1章 5人で林業 ワーカーズコープに学ぶ「より仕事」を自ら提案』
私の勉強不足か、この世の中で「雇われ者の奴隷根性」で生きていくか、新自由主義的なアントレプレナーシップを持ち「立身出世」を果たすか、あるいは、反対に敗残者となっていくなどしか選択肢がないのかと思っていたところ、なるほど、マルチチュードの起業家精神という考え方があるのかというのがグッときた部分でした。
直接的には恐らく、その言葉はワーカーズコレクティブな協働性を指すのだと思うのですが、行政書士・社会福祉士事務所として、様々な依頼者の方と「協働的」に関係性を持つことも、ある種マルチュチュード的な部分があるのではないかと勝手ながら思っています。そして、ぜひ、そういったことを志向したいです。
長くなったので、触れることができませんでしたが、この本の中で一番素晴らしいのは、私は斎藤さんの「あと書き」だと思いました。特に、福島県いわき市在住の地域活動家の小松理虔氏が提唱する「共事者」(きょうじしゃ)という考え方は、福祉に携わる自分にも深く考えさせられる言葉でした。
また、今後とも色々と書きたいことをブログで書いていこうと思います。
今回もお付き合いありがとうございました。
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